【右脳を刺激する言葉】 
 (1)オノマトペに飲み込まれた男

 『男はぼさぼさの髪をかきむしりながら、古いビルの隙間の狭い路地をとぼとぼと歩いていた。すえた臭いがつんと鼻をつき、じとじとした湿気がじんわりと体にまとわりつく。
 「こんなごみごみした街、いっそのこと消えちまえばすっきりするのに。」
 ぶつぶつと独り言をつぶやく男の足がぴたりと止まった。男の行く手を阻むかのように、地面にぽっかりと開いた大きな穴。おずおずと近づいて、じっと覗きこむ。真っ暗な穴はどこまでも深い。深淵を覗いているはずの自分が逆に覗き返されているような感覚に、すーっと血の気が引いた。小石をぽんと蹴り入れてみたが、しーんと静まりかえったまま物音ひとつしない。ぶるっと身震いをして後ずさりをしたそのとき、黒い影がぬーっと伸びて男の手をくいっとつかんだ。「ぎゃっ」。短い悲鳴とともに男は穴の中に吸い込まれた。穴はしゅるしゅると閉じてすっと消えた。男もこの街から消えた。』

 街が消えればいいとつぶやいた男の望み通り、彼の視界から街は消えました。しかし、消えたのは街ではなく男のほうだったというわけです。世にも奇妙な物語風のこの話の中にはたくさんの擬態語、擬音語が出てきます。これらのオノマトペを抜き取ったらどんな文章になるでしょうか。

 『男は髪をかきむしりながら、古いビルの隙間の狭い路地を歩いていた。すえた臭いが鼻をつき、湿気が体にまとわりつく。  「こんな街、いっそのこと消えちまえばいいのに。」
 独り言をつぶやく男の足が止まった。男の行く手を阻むかのように、地面に開いた大きな穴。近づいて、覗きこむ。真っ暗な穴はどこまでも深い。深淵を覗いているはずの自分が逆に覗き返されているような感覚に血の気が引いた。小石を蹴り入れてみたが、静まりかえったまま物音ひとつしない。身震いをして後ずさりをしたそのとき、黒い影が伸びて男の手をつかんだ。短い悲鳴とともに男は穴の中に吸い込まれた。穴は閉じて消えた。男もこの街から消えた。』

 ずいぶんとシンプルな文章になりました。意味は同じように伝わるのですが、素っ気ない感じになってしまいましたね。
 先の文章では、21個ものオノマトペが使われています。意図的にオノマトペを含むように作成した文章ですので、やや不自然に感じた部分があったかもしれません。それでも、オノマトペをまったく使わない文章に比べれば、はるかに不気味な感じが伝わってきたのではないでしょうか。臨場感を表わすのに擬態語、擬音語が大きな役割を果たしていることがお分かりいただけるでしょう。
 日本語は音節が比較的少ない言語であり、音の組合せが少ないために同音異義語も多く存在しますが、私たちの先祖は、オノマトペのもつ典型的なパターンでもある「きらきら」「くるくる」「つんつん」といった同じ音を繰り返す言葉(畳語)を作り出すなど、多くの擬態語・擬音語を生みだして言葉の幅を広げてきました。
 日本語の言葉(和語、大和言葉)を眺めていると、無造作に音を組み合わせただけだとは思えないものがたくさんあることに気づきます。特にオノマトペでは意味と音との間に密接な関係がありそうです。
 先ほどの21個のオノマトペから感じるイメージについて考えてみましょう。私たちは言葉を聞いたとき、まず意味を理解しようとしますが、ここでは意味ではなくあくまでも音の響きのイメージです。難しいことかもしれませんが、あなたは言葉の意味を知らないものと仮定して、音だけを感じてみてください。
「ぼさぼさ」=粗い感じ
「とぼとぼ」=力がない感じ
「つん」=鋭い感じ
「じとじと」=暗く湿った感じ
「じんわり」=遅い感じ
「ごみごみ」=多い感じ
「すっきり」=シンプルな感じ
「ぶつぶつ」=多い感じ
「ぴたり」=はっきりした感じ
「ぽっかり」=乾いた感じ
「おずおず」=遅い感じ
「じっ」=強い感じ
「すーっ」=滑らかな感じ
「ぽん」=軽い感じ
「しーん」=悲しい感じ
「ぶるっ」=強い感じ
「ぬーっ」=不気味な感じ
「くいっ」=軽くて速い感じ
「ぎゃっ」=にぎやかな感じ
「しゅるしゅる」=滑らかな状態が続く感じ
「すっ」=速い感じ
 これらは私の感じたイメージであり、人によって感じ方は異なることでしょう。しかし、多くの人がこれと似たイメージを思い描いたのではないでしょうか。少なくともこれらと逆のイメージを感じるようなことはないはずです。
 オノマトペにおいては音と意味とが結びついていて、イメージの伝達に適した音によって言葉が構成されていると言えそうです。

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