【右脳を刺激する言葉】 
 (7)ポーランドのカエルはクムクムと鳴く

 言葉の意味と音との関係を考えるときにどうしても避けて通れないのが、ソシュール(Ferdinand de Saussure, 1857-1913)のあの有名な学説「言語記号の恣意性」です。ソシュールは言語理論の発展に大きな影響を及ぼしたスイスの言語学者で「近代言語学の父」とも呼ばれている偉大な人物です。恣意性という語はあまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、簡単に言えば「必然性がない」ということです。つまり、「言語記号の恣意性」というのは、「言葉の意味と音の結びつきには必然性はない」ということになります。もっと言ってしまえば、言葉を作っている音はただ偶然に並べられただけの音だと解釈することもでき、私たちが「犬」と呼んでる動物が「猫」という呼び名で、「猫」と呼んでいる動物が「犬」という呼び名でもよかったということになります。
 この「言語記号の恣意性」の学説によって意味と音との関係がはっきりと否定され、音義説は価値のないものとされて言語学の領域から追いやられ、その研究は過去の遺物となった。そう言っても過言ではないかもしれません。少なくとも音義説を否定する際の論拠として、決まったようにこの学説がもち出されます。
 ソシュールは、言語によって言葉の音が異なる点(日本語の「そら」は英語で「sky」、フランス語なら「ciel」、ドイツ語なら「Himmel」といった具合)を示して「恣意性」を指摘します。確かに、音との関連性が強いと考えられる擬声語でさえもその表現は国によって異なっています。日本では牛は「モーモー」と鳴きますが、中国では「ムームー(mu mu)」、インドネシアでは「ウンブー(embuu)」と鳴きます。日本で「ケロケロ」「ゲロゲロ」と鳴くカエルも、フランスでは「コアコア(croac croac)」、ポーランドでは「クムクム(kum kum)」。ドイツのカラスは「クラー クラー(krah krah)」、ロシアのカラスは「カールカール(kar kar)」と鳴くそうです。
 言語による音の違いは、「言語記号の恣意性」に強い説得力を与えます。しかし、日本語に限って言えば、少し状況が違うのではないかと私は感じます。いや、ひょっとしたら各国には各国特有の音に関する感性があって、それぞれの感性にしたがって作られた言葉があるのではないかと。

 原始の時代、人々は「あー」とか「うー」とか、単純な音によって意志の疎通を始めました。その後、複数の音を組み合わせるようになり、言葉が生まれたと考えられます。もし人間に少しでも音から何かをイメージする力があったとするなら、言葉が生まれる際に、暗い意味の言葉にわざわざ明るい音を使ったり、弱いことを表す言葉に強い音を使ったりはしないでしょう。意味にふさわしい音を選んで言葉を作り、感情を表現するのにふさわしい音で言葉を作ったと考えるほうが自然ではないでしょうか。
 私は何もソシュールの学説に反論しようなどと大それたことを考えているわけではありません。日本語にも意味と音とがまったく無関係だと思われる言葉がたくさんあり、特に西洋から入って来たカタカナ語や大陸から入って来た漢語などに日本人の感性が織り込まれているはずもありません。外国語の音を日本語の音節で書き表しただけの言葉に意味と音との関連性を見い出すことはできないでしょう。
 固いイメージだとされるカ行の音をもつ軟体動物「タコ」や「イカ」では、ひどく固い感じというわけではありませんが柔らかさはほとんど伝わってきません。ただ、その一方で、オノマトペに代表される日本語の言葉(和語)には、意味の伝達に音が利用されていると思われる言葉も数多く存在しているという事実。

 『音を感じながら作られた言葉もあれば無造作に音を組み合わせて作られた言葉もある』。これが、言葉のもつ意味と音との関係についての結論となるでしょう。
 しかし、ここで重要なのは、音を感じながら作られた言葉が存在するからには、私たちには音からイメージを感じる力があるということ。その言葉が音を意識して作られていようが作られていまいが、たとえ適当な音の組み合せの言葉であったとしても、私たちはそこから音による何らかのイメージを感じることができるということです。

 ベンチで寝るのは窮屈そうですが、ソファーならベンチよりも広くて柔らかいような気がします。下着という言葉には何やら淫靡な雰囲気を感じますが、パンツという言葉からはあっけらかんとした乾いた響きを感じます。戦車とブルドーザーが競争したら戦車のほうが速そうですが、パワーならブルドーザーが勝りそうな気がします。音からはそんなイメージが伝わってきます。
 音を感じるように気を配ってみてください。重いとか軽いとか、強いとか弱いとか、明るいとか暗いとか、濃いとか淡いとか、大きいとか小さいとか、固いとか柔らかいとか…。どんな言葉からでも、何らかのイメージを感じることができるはずです。

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