大人のための寓話集」 by含蓄王

 「金の斧、銀の斧」(女神の裁定)
 似ているようで非なるもの。

『薔薇は何故という理由もなく咲いている。薔薇はただ咲くべく咲いている。薔薇は自分自身を気にしない。人が見ているかどうかも問題にしない。』(シレジウス)

『無心さ、純粋さ、素直さなどは人の心を打つ。その力は、こざかしい知恵をはるかに凌駕する。』(吉川英治)



 むかしむかし山奥に、きこりの兄弟が暮らしておりました。人のよい弟の与作は、いつも兄の甚六に利用されてばかりいましたが、そんなことは気にもせず仕事に精を出す働き者でした。

 ある寒い日の朝、甚六が言いました。
「与作よー、俺は体の調子が悪いので、今日はひとりで山に出てくれ。(こんな寒い日に仕事だなんて、馬鹿のすることだぜ。)」
「うん、兄さんはゆっくり休んでいてください。行ってきます。」

 与作が湖のほとりで木を切り始めたころには雪も降り始めて、寒さがいっそう厳しくなっていました。与作は凍える手で斧を握りしめ、力をこめて木の幹に打ちこみます。そして、斧を勢いよく振り上げたそのとき、斧が手から滑りぬけて湖に落ちてしまいました。
「なんてことだ! ああ、困った、困った。」
「どうしたのですか?」湖から声がしました。
「湖に斧を落としてしまいました。」
与作はしょんぼりと答えました。すると、水面が波立って、女神様が現れました。
女神は、与作に金の斧と銀の斧を見せて言いました。
「お前が落としたのはどっちの斧じゃ?」
「いえ、女神様、わたしが落としたのは鉄の斧でございます。」
「これか?」女神は、使い古した鉄の斧を見せました。
「はい、それでございます。拾ってくださってありがとうございます。」
「与作よ、お前は正直な男だ。金の斧も銀の斧も持って行くがよい。」

 与作の持ち帰った金の斧、銀の斧を見て、甚六はびっくり仰天。話を聞いた甚六は、さっそく湖に出かけて行って、汚い斧を力いっぱい湖に投げこみました。そして、しくしくと泣きまねをしました。
やがて、金の斧と銀の斧を持った女神が現れました。
「お前が落としたのはどっちの斧じゃ?」
「いえ、わたしが落としたのは鉄の斧です。」
「そうか、これか?」
「ありがとうございます。これでまた仕事ができます。」
「それは良かった。」女神はそう言うと湖の中に消えて行きます。
甚六はあわてて女神を呼び止めました。
「女神様、女神様!」
「なんだ?」
「わたしは自分の斧が鉄の斧だと正直に申し出ました。なのになぜでございますか?」
「だからお前の斧を拾って返したであろう。」
「でも・・・弟の与作は金の斧と銀の斧ももらいました。」
「甚六よ、お前は今朝、自分が病気だと嘘をついた。そして今、斧をわざと湖に投げ入れた。これが正直者のすることか? わたしは、与作の純粋な姿に心を打たれたのだ。」
「でも、わたしだって・・・」
「目的のための正直、都合のよいときだけに語られる真実、見返りを期待する優しさ。もはやそこに美しさはないのだ。」
女神は湖の中に消えました。

 甚六が重い足取りで家に帰ると、与作が待っていました。
「兄さん、体は大丈夫かい? ほら、温かいご飯を用意しておいたからたくさん食べなよ。」
 甚六が金の斧と銀の斧をうらやましそうに見ていると、与作が言いました。
「きれいな斧だね。僕と兄さんの宝物にしよう。」
「どうしてお前はそれほどまでに、欲もなく素直で優しいのだ?」
「欲張ったり嘘をついたり疑ったりするよりも、欲張らず、正直に、人を信じる方が楽だから。それにその方が自分のことを好きになれるから。」

 次の朝、与作が目を覚ますと、ぴかぴかに磨かれた二つの鉄の斧が壁に立てかけられていました。
「ありがとう、兄さん。」





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