ライオンのメガネ(見えなくてもよいもの)
眼鏡を手に入れた老ライオンは・・・
『良い結果をもたらす嘘は、不幸をもたらす真実よりいい。』
(ペルシャの諺)
『愛する者に欺かれている方が、時として真実を知らされるより幸福である。』
(ラ・ロシュフコー)
ある年老いたライオンが動物の王国を治めていました。
「自分より小さい者をいじめた者には厳罰が下るだろう。」
老ライオンはそう言っていつも弱い者を守ってきました。そんな優しい王さまのことがみんな大好きです。
ところが最近、王さまの目が見えなくなってきたのです。
「年をとれば体が衰えるのは仕方のないことだが、困ったものだ。こんな状態では国を立派に治めることができなくなってしまう。」
弱っていく老ライオンの姿を見て大喜びをしていたのは、大臣のトラでした。ライオンが引退した後には、トラが王位を継ぐことが決まっていたからです。
「よしよし、もうすぐライオンはただの老いぼれになってしまうぞ。そうしたらこの俺様が王だ。弱い動物を片っ端から食ってやる!」
王国の動物たちは一生懸命に祈りました。
「どうか、王さまの目が見えるようになりますように。トラが王さまになりませんように。」
しかし、ライオンの目は日増しに悪くなるばかりです。
「わしはもう、王としてこの国を治めていくことができないのだろうか。」
ため息をつきながら草原を歩いていると、どこからか人間の匂いがしてきます。匂いのする方向に進んで行くと、岩に腰かけて本を読んでいる老人の姿が見えてきました。
本を読むのに夢中になっている老人は、ライオンが近づいてくることに気付きません。しかし、やがて、背筋が凍りつくようなただならぬ気配を感じて我に返ります。
「た、助けてくれ! わたしを食べないでくれ!」
するとライオンは優しく言いました。
「おじいさん、そんなに驚かないでください。わたしはあなたを食べようなんて思っていませんよ。ただ、おじいさんがどうしてそんなに小さな字が読めるのかと不思議に思ったのです。」
ライオンはおじいさんに、目が弱くなって困っていることを話しました。そして、自分が引退した後の王国をとても心配していることも話しました。
「あんたは、優しくて立派な王さまだ。これをあんたに差し上げよう。」
そう言うと、おじいさんは眼鏡を外して、それをライオンにかけてあげました。
すると、たちまち周りのものがはっきりと見えるようになったではありませんか。草の葉にとまっているテントウムシの模様も、地面を忙しく動き回っているアリたちの姿もはっきりと見えます。
ライオンはおじいさんに丁寧にお礼を言うと、喜びのおたけびを上げながら草原を駆けて行きました。
王国の動物たちも大喜びです。
「王さまの目が見えるようになったぞ。これからも王国の平和が続くぞ。」
「チッ」。トラだけはいまいましそうな顔をしています。
視界も心も明るく開けた王さまはすっかり元気を取り戻しました。眼鏡をかけたり外したり、嬉しくて仕方がありません。
次の朝、王さまが目を覚ますと、侍女たちがお世話をしにやって来ました。
「さ、王さま、お顔を拭きましょう。」
そう言って、顔に大きなホクロのある侍女がタオルを差し出しました。
「お前は誰じゃ?」
「いつもの侍女でございます。」
次の侍女が王さまの髪をすいてくれます。しかし、その骨ばった手と、しわくちゃの顔に王さまはビックリです。
「お前は誰じゃ?」
「いつもの侍女でございます。」
次に、がに股の不格好な女が、王さまに服を着せにやって来ました。
「お前は誰じゃ?」
「いつもの侍女でございます。」
カチャカチャと食器の触れあう音がする方に目を凝らすと、厨房の料理人がつまみ食いをしているのが見えます。窓の外では植木職人がうたた寝をしているのが見えます。その向こうでは、親猿が子猿をひどく叱りつけています。あっちでは鹿が夫婦喧嘩をしています。
「どうやら、世の中には、見えない方がよいもの、見えない方が幸せなものがたくさんあるようじゃ。眼鏡のせいで、見えなくてもよいものまで見えるようになってしまったわい。」
こうして、王さまは、普段はわざと眼鏡をかけずに生活することにしました。
王さまが眼鏡をかけるのは、優しい王さまが厳しい王さまに変わるとき。眼鏡の奥の鋭い眼光は、トラをも寄せ付けません。